「嫌いな相手に対する自分自身」とは「自分を脅かす存在そのもの」

生きていれば「嫌いな相手」に会うこともあります。
 
でも、その”嫌いな相手”にも友人や、その人のことを大切に想う誰かがいるわけで、「嫌いな相手」とはあくまでも「”自分にとって”嫌いな相手」であるに過ぎません。
 
 
では、どうして「”自分にとって”嫌いな相手」が生まれるのか?
 
 
まず、自分が見ている世界の全てが自分の自我の投影です。
 
知識がなければ物事は認識できず、認識された時点でそれは自分の中にあるものが投影されているわけです。
 
そして、自分が認識する他人とは、それはすなわち自分の内面にある自分自身です。
 
では、どのようにして「嫌いな自分自身(=”自分にとって”嫌いな相手)」が生まれるのか?

画像を例に考察してみましょう。


 
まず、根底に
「無能な私には価値がない」って前提(思い込み)あったとします。
 
 
これは本人にとって耐え難いことであり、なんとかしてその前提を克服しようとするわけですが、その方法は人によって異なります。
 
それはざっくり言えば2種類に分類できます。
すなわち、男性性を使うパターンと女性性を使うパターン。
  
 
男性性とは
自分や外側の世界の現実を変えることで問題を乗り越えようとすること。
 
女性性とは
そのままの自分を受け入れ、愛し愛されることを求めること。
 
 
画像の例で言えば、
左側が男性性、
右側が女性性のパターンとなります。
 
 
自分が男性性で「前提」を克服しようとしたとき、女性性を使っている人がいれば「嫌いな相手」になります。
 
自分が「無能」を克服したくって必死で努力をしているのに「無能なままで愛されたい」とか言っている奴がいれば、それは自分がやっていることの否定に繋がるわけで、
 
「ふざけるな!世の中そんな甘くねーんだよ!」
 
みたいな罵倒を浴びせかけてやりたくなります。
 
 
逆に女性性で「前提」を克服しようとすれば、男性性を使っている人が「嫌いな相手」となります。
 
「なんて夢がない生き方をしているんだろう」
「そんなふうに自分も他人も傷つけて、それで一体何になるっていうの?」
 
 
いずれにしても、その相手を認識できる時点で、それは自分の中に存在しているということです。
 
 
なので、実は(割合は人それぞれだけど)みんな男性性と女性性の両方を使ってたりします。
  
例えば普段、仕事でバリバリと男性性を使っている人が、プライベートになると「そのままの私を愛してよ!」になったりとか、
 
「愛されてこそナンボ」みたいに生きている人が他人の「無能」を罵ったりとか。
 
 
それはつまり、「嫌いな相手」のパターンを自分が使っているってこと。
 
 
身に覚えありませんか?(笑)
 
 
  
更に言えば、
「嫌いな相手に対する自分自身」とは「自分を脅かす存在そのもの」です。
 
「無能な他人を罵る自分」は「無能な自分を許さない存在」として、
「愛されない生き方をする他人を罵る自分」は「愛されない自分を許さない存在」として、
 
外側の世界に投影されます。
 
 
それは具体的な誰かに投影される場合もありますが、多くの場合は「世の中はそういうもの」という認識の中で「顔の見えない、でも圧倒的大多数(もしくな絶対的)な存在」として自分の世界観を構築します。
 
で、それに怯えて
無能な自分を克服しようとしたり、
愛される存在になろうとしたりするわけです。
 
恐怖に基づいて。
 
 
全部が全部、自分自身なのにね(笑)
 
つまり、誰も彼も自分の影に対して怯えたり憎んだりしてるに過ぎないってこと。
 
 
 
この話を腑に落としたい人は、
「自分が嫌っている人」と「自分が恐れている人」になりきってみることを試してみてください。
 
その人の行動や言動を思い出して、イメージの中でそれをやってみる。で、その背後にある感情や人格を自分の中に作ってみる。
 
そしたらね、わりと自分もそれを使っていたりすることに気づいたりします。
 
 
ショッキングかもしれんけどね^^;