承認欲求から自由になるには◯◯◯を手放すこと

「他人から認められたい」っていう気持ちの根底には「他人に対する憎しみ」が存在します。
 
いわゆる「承認欲求」の話なんだけど、
「他人から認められたい」っていうのは、要は相手から「承認と尊敬を勝ち取りたい」ということで、要は”奪う”的な発想だと言えます。
 
で、これが弱気にオブラートに包み込まれると「認めて欲しい」っていう切ない気持ちになるんだけど、結局のところ根底にあるのは「憎しみ」です。
 
 
「承認欲求」の大元は我々が猿だったころの群れのヒエラルキー(階級)だったと思われます(野生の猿山を想像してみてください)。
 
猿の集団は群れとして外敵と戦うだけでなく、群れの中でも力関係があり、それによって限られた食べ物の優先権が決まります。飢えれば弱いものから死んでいくため、群れの中での階級は死活問題です。
 
そんな中で、どうにか「俺はお前よりも強いんだ」ってのを認めさせなければならない。
 
つまり、相手の尊敬を得ることの本質は戦いであり、そこで使われるのは生存を賭けた「怒り」や「憎しみ」に類する感情です。
 
 
で、人類の歴史を通して単なる力の強弱だけでなく、「いかに共同体にとって役に立つか」っていうところで存在価値の序列が決まったりして、価値が多様性を持ったのですが、本質的には「他人の承認を得ること」は生きるか死ぬかの戦いだったと言えます。
 
 
それで、考えるべきなのは、
「これって現在で必要なのか?」ってこと。
 
 
もちろん、他人の信頼や尊敬を得ることで得られる実利っていうのはあるけれど、そういったものは現代においては「他人に与えること」を通して得られるものがほとんどで、そういったものは自意識から自由な方が得やすいのではないでしょうか?
 
 
むしろ、単純に自意識を満たすための行為は承認を得るどころか他人の不況を買うだけで実利はなく、刹那的な喜びを得る以上の利点はありません。
 
 
って考えるとさ、いらなくない?承認欲求。
 
 

人の目が気になって仕方がない人は「人間に対する憎しみ」を手放すと自由になれるよ^^