「私は普通ではない」「だから素晴らしい」

第一チャクラを活性化させていく上では「恥の感覚」に対して自分を開いていくことが重要です。

「恥はネガティブな感情である」という誤解がありますが、恥は生命エネルギーが開くときに生じる感情ですので、むしろポジティブなものだったりするわけです。

ただ、どうしてもそこには恐怖が出てしまったりするので、だから世間的には「恥の感覚」を遠ざけようとする風習があるのです。

「恥の感覚」と仲良くなれると強いです。
大体の悩みは根っこを探ると「恥ずかしいのが怖いから」っていうのに行き着くもので、「恥ずかしくていいじゃん(むしろそっちのが面白いじゃん)」って思えればそれだけで悩みはなくなります。

何よりも生命エネルギーが溢れ出てくるので元気になっていきます。

「恥の感覚」と仲良くなっていく上で大切なのは「普通ではない自分」を認めて受け入れていくことです。

「他人とは違う自分」
「枠からハミ出してしまう自分」
「笑われてしまう自分」

そういった自分を「てへっ♪」と受け入れていくほどに強くなっていきます。

ただ、ここには落とし穴があって、変に拗(こじ)れて「だから私は偉いんだ」とか逆の方向に自意識を発揮してしまうと単なる痛い人になります(笑)

これは要は「枠から外れている自分こそが正しくて(普通で)、お前らの方が間違っている」ということを主張しているわけですが、これだと逆に第一チャクラは閉じてしまいます。

「あなたたちは◯◯を普通だと思っているのですね」
「それはそれでいいと思います」
「で、私は普通ではないこっちを選びます」

「普通(スタンダード)であること」から外れているから面白いのであって、それを面白がる感覚こそが生命エネルギーの呼び水となるわけです。

この辺の話はスピリチュアルとか癒しみたいな世界だと「どんな自分も受け入れ愛しましょう」みたいに語られたりしますが、これだとちょっと弱かったりします。

これには「ネガティブな自分も受け入れましょう」っていうニュアンスがあるからです。ではなくて、そもそもネガティブもクソもなく、それは単なる自分の素晴らしい個性です。

個性とは他人とは違っているから個性なのです。

なので内省的に「受け入れ愛する」というよりは「認めて面白がる」という動的な感覚を持つ方が望ましいと言えます。

自分が蓋をしている「恥ずかしい自分」と仲良くなってください。

要は変人になれと✨ФωФ✨

 

「何事も順番が大切」というお話

先月のことです。
「地の気を取り入れる歩法」というのを知り、「どうせなら地の気が豊富な温泉地でその歩法を試してみよう」と思い立って草津温泉に行ってきました。

そこで気づいたこと。
「一度機に大量の地の気を取り入れると全てのチャクラが活性化する」

いや、凄かったです。
なんかもう、ずっと全身のチャクラがぐるぐると回転しているような感じで。一泊二日の旅行中、ずっと処理が続いているような感覚でした。

んで、この「大量の地の気を取り入れることによるチャクラ活性」、どうもね、地の気が多すぎるとダメみたいなんですよ。

人それぞれ、その時々の段階でちょうど良い量ってのがあって、それを超えた量を入れようとしても逆に閉じちゃうわけです。もちろん少なすぎても活性化はしない。

「ちょうど良い量」を入れることでチャクラが活性化し、さらに大量の地の気を取り入れる器が作られていくのです。

つまり、
1→2→3→4
という順番で回るから地の気を取り入れられて器が大きくなっていくのであって、
4→3→2→1
だと「4→3→2」までは全て閉じてしまっているので、取り入れられるのは「1」の分だけ、ということです。

筋トレを想像してもらえればいいと思います。
普段全然運動していない人がいきなりベンチプレスで200Kgを上げようとしたところで上がらないし、無理をすれば身体を壊すだけです。
その時の自分に合った負荷でトレーニングするから器(肉体)が鍛えられてより大きな負荷を持ち上げられるようになるわけです。

地の気の場合、無理があるときは閉じるのが正解で、もし無理に開けてしまえばやはり何かしら壊れてしまうみたいです(これはピアス穴の拡張をイメージした方が分かりやすいと思います)。

そこで気づいたのは、これこそが「全ての成長に共通する原則」であること。

全ての意識的活動を「エネルギーの大きさ」に置き換えてみましょう(分かりづらかったら「その行為をするために必要なエネルギーの大きさ」でイメージしてみてください)。

例えば、何か新しい分野のお勉強を始めるとします。
まず最初はできる限り簡単で知識ゼロでも理解可能なことから学ぶはずです。

「簡単なこと」
これは「エネルギー量が小さい」と言えます。

逆に熟練者が学ぶような専門的で難解な知識は「エネルギー量が大きい」と言えます。

「器」ができていない状態で無理に「エネルギー量が大きい」難解なことを理解しようとしても理解はできません。「器」の方が受け入れられないからです。

つまり、どのようなことであれ、「最小のエネルギー」から段階的に大きくしていく必要があります。

この量を間違えると全く身に付かず、苦手意識をもってしまい、やがてはやることが苦痛になってしまいます。これが「取り入れるエネルギー量が大きすぎて壊れてしまった状態」です。

さて、ここまでの内容だけで言うと、
「何事も最初は簡単なことから始めて、徐々に深めていきましょう」ってだけの話です。

当たり前じゃん、って感じだと思うんですけど、ここまではあくまでも例です。「簡単なことから始めているのに全然上達しない分野」ってあったりしませんか?

「エネルギー量が小さい」ってのは、作業の簡単さだけの話ではないんです。

エネルギーの大小を決める最大の要因。それは「動機(モチベーション)」です。

と言われてまず思い浮かぶのは
「好きでやっているかどうか?」ということかも知れませんが、それは大前提の話です。

「そもそも好きになれないんだけど」
というところで多くの人は悩んでいるのではないでしょうか?

結局のところ「好き」という状態を作る上でも順番があるのです。
「1→2→3→4」という順番で向き合っていくべきものを、いきなり3とか4から始めようとするから好きになれないわけです。

では、そこでいうところの「1」最初の最初のステップは何なのか?

答えは「憧れる」です。

子どもの頃の「ふわっ」とした感覚を思い出してみてください。大人がやっていることに対して、それが何なのか理解する前から憧れるあの感覚です。

お母さんが料理をしているのを見て「凄い✨」って思ったりしませんでした?そういう「ふわっ」とした感覚が「1」です。

そして、その知識空間に興味を持って知ることを楽しむのが「2」です。

料理の例で言えば、お母さんの真似をして自分でも料理を作ってみる、みたいなことです。この時点ではクオリティは追求するべきではなく、ただ憧れの世界のマネをして色々試してみればいいんです。

「3」は「クリエイティブになる」です。
人の真似をするだけでは飽き足らず、自分なりに色々試してみたくなる段階です。

料理の例で言えば、自分なりのオリジナル料理を作ってみるなど。失敗しながら自分なりに上手くいくやり方を試行錯誤していく。

それをやることで「4」の「洗練する」という段階に入ります。
ここに来て始めて厳しさを受け入れられる「器」が出来るわけです。

「どうしても上手くいかない。自分は何が間違っているんだろうか?」
ネガティブなものも含めて他人の意見が「ちょうど良い刺激」になるということです。


そうやって洗練させていくと、その次は「5」の「貢献する」という段階に入ります。身につけた技術で他人を楽しませる段階です。

料理であれば、自分で作った料理を他人に食べて喜んでもらう、みたいなことです。「他人のためにやること」ですので、これは自己満足では完結できません。

食べた人が「美味しくない」と言ったらそれは美味しくないわけで、それは謙虚に受け止める必要があります。しかし、ここまで「器」を作ってきた人であれば、それすらも成長の糧にすることができます。

では、これを「2」の段階でやられたとしたらどうでしょうか?

料理に憧れて、始めて包丁を握って料理を作った子どもに対して
「不味い。食えたものじゃない」
と海原雄山みたいなことを言ってしまったら?

その子はやる気を失ってしまい、料理が嫌いになってしまうでしょう。これが「器が壊れる」ということです。みんなこれを自分自身にやってしまっているわけです。

「必要に駆られてやること」「自分の利益のためにやること」っていうのはいきなり「4」とか「5」の段階から始めることになるので、なかなか好きになることができず、長続きせず、身に付かなかったりします。

1.憧れる
2.興味を持つ
3.クリエイティブになる
4.洗練する
5.貢献する

「得意なこと」は必ず「1」のステップから始めてたのではないでしょうか?結局のところ、その段階をすっ飛ばしていきなりクオリティを求めるから「器」が耐えきれずにぶっ壊れるわけです。

何事も自分の「器」が耐えられる範囲から始めること。
技能の習得であればそれは「憧れ」から始めるということです。

もし、あなたに苦手な何かがあったとしたら、まずは子どもの心で「憧れ」から出逢い直してみてはいかがでしょう?

「何事も順番が大切」なのです。

「役に立たない自分」という価値

前回の投稿で「『幸せ』には2つの側面がある」という話をしました。

「『価値あるもの』を受け取ること」
「『価値ある存在』として自身が扱われること」

この2つです

では「価値」とは何でしょうか。それは「役に立つ」ということです。

このように言うと「役に立たないものは存在する価値がない」みたいな冷たい話として受け取られがちだと思うのですが、そういう話ではありません。

定義と矛盾するようなことを言いますが「役に立たない価値」というのも存在します。これを「情緒的価値」といいます。

「可愛い」「カッコいい」「面白い」「Cool!」
そういった感情を呼び起こすものを意味します。

例えばペットなんかはその典型だと言えるでしょう。
機能的価値の観点から言えば餌代はかかるし世話をする手間もかかるしマイナスでしかありません。しかし飼い主はそれを厭わず愛情を持って世話をし、それに喜びを見出します。

「その存在によって日々のストレスが解消される」という機能的価値はあるかも知れませんが、それを語るのは無粋というものでしょう。

機能的価値では計り知れないのが情緒的価値なのです。

1人の人間には様々な価値が存在しますが、そういった情緒的価値も当然存在します。

あなたは家族や友達を「役に立つかどうか」という機能的価値で判断したりしないでしょう。「好き」「一緒にいて楽しい気持ちになれる」そういった情緒的なものが基準になっているはずです。

人が愛着を持つのは「役に立たない部分」なのです。

前回の投稿では「『価値ある存在になりたい』という感覚を大切にしてください」ということを書きました。より機能的にも情緒的にも価値を発揮できる存在になることを意図することは周囲も自分も幸せにします。

しかし、そういう意図を持とうが持つまいが、今の自分の機能的価値がどうであろうが「今の、そのままの、ありのままの自分」にも価値があることを憶えておいてください。

それは他人から笑われてしまうような自分なのかも知れません。
あなた自身がそんな自分を好きではないのかも知れません。

しかし、そういう部分にこそ情緒的価値は宿るのです。

「ありのままの自分」を受け入れておくことは幸福であるために大切なことだと言えます。機能性だけで自分の存在が計られるのは寂しいことなのではないでしょうか?

「心ある人」であれば、あなたのそんな部分に対しても愛着を持ってくれるはずです。

ですので、まずは「ありのままの自分」をあなた自身が愛しんであげてください。それは「ありのままの他人」を愛おしむことにも繋がるはずです。

「『ありのままの他人』を愛おしむこと」
「『ありのままの自分』が愛おしまれること」

素敵な世界だと思いませんか?

「受け取ること」と「与えること」は表裏一体

「幸せになりたい」ということは誰もが願うことです。
しかし「幸せとは何なのか?」ということを理解している人間はおそらくそんなに多くはないと思います。

幸せとは何か?
それには2つの側面があります。

「『価値あるもの』を受け取ること」
「『価値ある存在』として自身が扱われること」

これらは表裏一体です。

恋愛なんかはまさにその典型と言えるでしょう。

「魅力的な異性と付き合いたい」
これも誰もが考えることです。これはつまり「価値あるもの」を受け取りたい、という欲求です。

では、その魅力的な異性と付き合えたとして、相手が退屈そうにしていたら幸せを感じられるでしょうか?

「私はこの人に必要とされているのかな?」
いかに相手が自分にとって魅力的であったとしても、自分に対して不満を抱えていたら幸せな気分にはなれないはずです。

自分が「価値ある存在」だと思っている相手から「価値ある存在」として必要されること。「受け取ること」「与えること」の両方があって始めて人は幸せを感じられるのです。

もちろん、これだけが幸せである、というつもりはありません。

「ただ存在していることが幸せ」
そういった植物が光合成をするような感覚はあっても良いと思います。

しかし、それだけでは虚しくなるのではないでしょうか?

「やりたいことをやっているのが幸せ」
これも大切な感覚です。

ただそれだけに没頭して幸せを感じられる人は少ないでしょう。

・美味しいご飯が食べられる幸せ
・大好きな人と一緒にいられる幸せ
・やりたいことをやる幸せ

「幸せ」には様々な種類がありますが「どれか1つだけあればいい」というものではないはずです(「大好きな人と一緒にいられるから美味しいご飯はいりません」とはならないですよね?)。

様々な幸せがバランスよく存在していることが大切なのです。

「『価値あるもの』を受け取ること」
「『価値ある存在』として自身が扱われること」

この2つは様々な幸福の中でも重要な位置を占めています。だからこそ人は無価値感で悩むのです。

「価値あるものを受け取りたい」
これはわざわざ言うまでもなくみんなが求めていることでしょう。なので意識するべきなのは「『価値ある存在』として自身が扱われたい」という感覚です。

しかし、この感覚はストレスにさらされていると封印しがちだったりします。

生きていく中で社会や人間そのものに憎しみを持つことは少なくありません。

憎しみが募れば「お前らにとっての価値なんかどうでもいいわ」という意識になり、次第に「自分だけが『価値あるもの』を受け取れればいい」という発想になっていきます。

これは要は「『価値あるもの』を奪ってやる」という姿勢です。そういう相手に「必要とされたい」と思う人はいないでしょう。

独りよがりの人間は「価値ある存在」として扱われることもなければ「価値あるもの」が与えられることもありません。

自身も含めて誰も幸せにならないわけです。

「価値ある存在になりたい」という感覚を大切にしてください。

「愛されたい」
「認められたい(リスペクトされたい)」
そういう感覚です。

その上で、自分に価値を見出してくれる人の視点で「価値ある自分」を想像すると、自分がどう在るべきなのかが見えてくるはずです。

彼らはなぜ、あなたを愛し、リスペクトしているのか?
あなたは彼らにとってどのように価値ある存在なのか?

「愛すること」「認めること(リスペクトすること)」
これらは幸せな感覚です。

それによってどのような幸せな感覚を得ているのか。その感情も含めて想像するわけです。

それを想像するだけで誇らしい幸せな気持ちになれたのではないでしょうか?

その感覚こそが「幸せな状態」を生み出すための原動力となり、そこに向かう「今この瞬間」を幸せにしてくれるのです。